バスケットボールの誕生と1stチーム

バスケットボールの誕生

誕生日 1891年12月21日(初めて試合が行なわれた日)
場所  YMCAトレイニングスクール(現 マサチューセッツカレッジ) スプリングフィールド マサチューセッツ州
考案者 ジェイムス A. ネイスミス
目的 
 考案者の受け持つ体育の授業に、手に負えないわがままな学生達の参加を促し、彼らのはけ口ともなり、
 「面白く」 「容易に習得できる」 「簡単にプレーできる」 「長い冬の間でも」 「人工的な光のもと」
 でできる、新しいインドアスポーツとして開発された。
 野球・フットボール・ラクロス・ラグビー・サッカー、duck on a rock という遊びなどをもとに、Basket Ball という
 競技を考案し、同時に 13のルール を設定した。
1st チーム バスケットボールという競技が考案されて、初めて試合を行なったチーム。
<メンバーとチーム編成>
  • メンバー
    考案者の体育を受講する、20代の男子学生18名。
    前任の指導者2名を追い出した過去を持つ、手におえない我侭グループ。
  • 人数
    1チーム9名。
    1891年の体育を受講する学生は18名いたため、彼らを2つに分けた。
  • ポジション
    センター、フォワード、バックに、それぞれ3名ずつ編成した。
<プレー環境>
  • 試合時間
    30分のゲーム。
  • ゴール
    桃の収穫カゴがゴールとして、高さ10フィートの手すり(3.05 m)に、取り付けられる。 メートル法だと中途半端な 3.05 m は、これに由来。
  • コート
    55 × 35 フィート(16.7 × 10.7 m)のレクリエーションエリアで行なわれた(FIFA 規格:28 × 15 m 2012年現在)。
  • ボール
    専用ボールはまだなかったため、当時のサッカーボールが使用された(右図)。
  • ルール
    10秒ライン、3秒バイオレーション、フロントコート・バックコート、アウトオブバンズも存在していなかった。
  • その他
    言葉も存在していなかったので、Basketball の1語ではなく、Basket Ball の2語だった。
  • 試合結果:1−0
    William R. Chase がコート中央付近から投げたシュートによるもの。これが初めての3ポイントシュートと言われている。

ネイスミス博士と18名の学生
ネイスミス博士と18名の学生



桃のカゴ
当時のゴールを再現したもの


コートの大きさの比較
現代と創世記のコートの比較


サッカーボール
初めての試合で使われたボール当時の物
旅行記 Hall of Fame より

<試合の様子>

 各々のチームからキャプテンを指名し、また両チームから、センターのうち1名ずつ指名して、ジャンプボールを行なって試合を開始した。
考案当初、この競技をあざ笑っていた学生達だったが、ボールが空中へトスされた瞬間から、彼らは、それまで見せたことのないほど、熱中する姿をみせた。

最初は、彼らは個々のプレーに熱中したが、ネイスミスと彼のクラスは、試合をうまく運ぶにはグループでがんばる事が必要とされることを悟り、こうして本当の意味での「初めてのバスケットボールチーム」が誕生した。

たちまち、この競技の噂が広がって、観衆が集まってくるようになり、のちに 1st チーム と呼ばれるこのチームは、アメリカ遠征を行なって、バスケットボールが発明から数ヶ月の間にアメリカ中に広まる一助となった。
<試合に参加した18名の受講生>
<参加した受講生一覧>

ジョン G トンプソン ユージン S リッビー ゲンザブロウ S イシカワ
エドウィン P ラッグルス ウィリアム R チェイス T ダンカン パットン
フランク メイハン フィンリー G マクドナルド ウィリアム H デイビス
ライマン W アーチボルト ベンジャミン S フレンチ ジョージ E デイ
ヘンリー ジェラーン アーネスト O ヒルドナー フランクリン L バーンズ
レイモンド P ケイン ウィルバート F キャリー ジョージ R ウェラー

13条のルール バスケットボール考案当初に制定されたルール


  1. ボールはいかなる方向へも、両手または片手で投げることができる。

  2. ボールはいかなる方向へも、両手または片手で弾くことができる。

  3. 選手はボールを持って走ってはならず、ボールをキャッチした場所から投げなくてはならない。

  4. ボールを保持する際は、両手を使わなければならず、腕や体を用いて保持してはならない。

  5. 選手は、相手チームの選手に肩をぶつけたり、抑え込んだり、押したり、体をひっかけたり、ぶつけてはならない。これらが生じた場合、1回目はファールとしてカウントするだけだが、2回目は次のシュートが決まるまで、ファールした選手をコートへは戻せない。また、相手を負傷させる明確な意図が見受けられた場合、ファールした選手を退場とし、その試合には戻すことができない。

  6. 上のルール3〜5を適用して、ボールを拳で叩くことはファールと見なす。

ネイスミス博士
バスケットボール考案者 ネイスミス博士

  1. 片方のチームが3回連続してファールを犯した場合、相手チームの得点とする。ただし、片方のチームが3回連続してファールした場合のみとし、その間に1回でも、もう一方のチームがファールを犯していた場合は除く。

  2. ディフェンスがシュートに触れたり、妨害することなく、ボールが投げられあるいは弾かれてカゴに入り、そこに留まった場合にのみ、ゴール(得点)が認められる。また、ディフェンスにより、カゴが動かされたりした場合は、得点として認められる。

  3. ボールがコートの外へ出た際は、選手によるスローインが行なわれ、どちらのチームの保持か明確でない場合は、審判によるスローインが行なわれる。投げるまでに5秒の時間が与えられるが、これを越えると相手ボールとなり、アウトオブバウンズを執拗に繰り返すチームには、線審(原文:umpire)により、ファールが課せられる。

  4. 線審とは、選手についてのみをジャッジする。ファール数の記録を行ない、上記の3回連続ファールを審判(referee)に伝える役目を果たし、上記のルール5による選手の退場権限も持っている。

  5. 審判はボールについてジャッジを行なう。プレー中のボール、バウンドしている時のボールが、どちらのチームの保持なのかを判断しなくてはならず、また試合時間も管理し、得点の管理もしなくてはならない。

  6. 試合時間は、前後半制で各15分ずつとし、間に5分の休憩が入る。

  7. より多くのゴールをしたチームが勝者であり、引き分けた場合は、両チームのキャプテンの同意により、次のゴールが決まるまで、試合は続行される。

創世記のバスケットボール


<現代との相違点>
シュートが決まると、ジャンプボールで試合を再開した。


<ゴール>
ゴールに使われた桃の収穫カゴには、穴がなかった。
そのため、カゴの隣にかけたハシゴに人が座って待機しており、シュートが決まるとボールを取り出した。
やがて、カゴの底に穴が開けられ、シュートが決まると、棒で下から突っついてボールを出ようになり、そののち鉄のリングに、網状に編まれ、底の部分が縫われたヒモがつけられた、現在のゴールの原型が製造された。
ゴールの高さが10フィート(3.05 m)であるのは、当時のオーバーヘッドランニングトラックの高さが10フィートで、そこにゴールが取り付けられたためである(オーバーヘッドランニングトラック:体育館の中二階または二階にある、1階フロアを取り囲んでいるランニング用のコース)。


<ゴールのバックボード>
当時のゴールにはバックボードがなく、観客がゴールに触れることができ、シュートの邪魔をするようになった。
この妨害からシュートを守るために設置された。
バックボードは1893年に、競技の考案者であるネイスミス博士によって開発されたものの、数十年間は、バックボードを設置するところもあれば、そうでないところもあり、浸透するのに時間がかかった。


<乱暴なスポーツだった>
徐々に技巧のスポーツになっていったが、初期の試合は乱暴で、フットボールやラグビーのように、プレー上での選手同士の接触が多かった。
特に、初期のプロバスケットボールは、暴力的で無秩序であった(後述)。
1936年のオリンピックで初めて公式種目になるまで、上のようなような状況が続くこととなった。バスケットボールが開発されてから、実に45年経ってからのことだった。


<サポータの意味>
近年のサポータといえば、選手の関節や筋肉の保温、腕や足の特定部位の固定・サポートとして、肉体の内的な事情から着用されるが、当時は、プレー上での選手同士のぶつかりあいなどから身を守るプロテクターとして、外的な事情で着用されていた。
つめものをしたパンツ、ひざあて、ひじあて等は標準装備だった。


<ホームコートアドバンテージ>
現代のファンは、ホームのチームには優しく、アウェイのチームやホームチームに不利な判定に厳しいのが一般的だが、当時は、ホームチームの選手であっても、不甲斐ない結果に終わった選手には非常に厳しく、選手がファンに公然と襲われることも少なくなかった。


初期のゴール(再現)


サポータ類に身を包んだ初期選手


初期のプロテクターとしてサポータ
初期のサポータ
旅行記 Hall of Fame より

<ケイジャーという言葉>
 観客からの妨害や、それに腹を立てた選手とのケンカを防止し、混乱から試合を守るため、コートを囲むように金属製のケイジ(cage)がつけられた。このケイジの中でプレーする様子から、バスケットボールをする人をケイジャーと呼ぶ習慣ができた。

このケージのおかげで、選手達は試合に集中できることになるはずであったが、ケージ側面の金網の鉄線は弾みやすく、プレー中、しばしば選手に接触し、コート床が血だらけになるほど、選手達が切り傷を負うことも珍しくなかった。上記のようなプロテクターを着用していても負傷した。
鉄線と相手選手とを、同時にかわさなければいけなくなり、プレーに支障がでてきたことから、1900年代初期に、金属製のケージはロープでできたケージに変わった(下図)。
この新しいケージは、1920年代にかけてペンシルバニアから近隣の州へと広がっていった。


ロープ製のケージ
ロープ製のケージ


<セットシュートとレイアップの誕生>
 ケージが用いられても、選手達、とりわけアウェイの選手と試合のオフィシャルたちは、無法者の観客のなすがままの状況下にあった。
彼らは、選手の足を婦人用帽子のピンや火のついたタバコで刺し、炭鉱用のランプで熱したクギや錨が、レフリーやフリースローをする相手チームの選手に向けて投げ込まれた。
また、試合後に社交ダンスが行なわれた当時の習慣から、厚くワックスがかけられた床で、選手達は足をとられた。

こような状況下でも得点できるように、レイアップシュート、セットシュートが発案された(記述はありませんが、レイアップシュートは片手でできることから、もう一方の空いた手で身を守ったり、接触を好む相手選手から距離を取れる、妨害物が投げ込まれる所から離れた場所からシュートできることが、役に立ったと考えられます)。


参考文献:NBAエンサイクロペディア 第3版 P10〜P51、Naismith Hall of Fame 提供の資料より

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