レプリソーム旅行記 ランダムギャラリー 10

デューク大アリーナの裏から
アメリカ大陸をカリフォルニア州から右斜め南へ移動して、ここはノースカロライナ州はデューク大のバスケットボールアリーナ、キャメロン・インドア・スタジアムの裏へやって来ました。

なぜかというと
なぜ、正面入り口からではなく、こんな中途半端なところからかというと、画像の通りです。
敷地内のあちこちで、こうした大きな工事が行なわれており、正規の入口から入れないようになっています。

案内にまで…
特に、このキャメロン・インドア・スタジアムに関しては、画像の看板の通り、増築工事をしているとのことです。
単に、説明と完成予想図だけで終わらせず、チームカラーのボードにロゴマークまで。
こんなところにまで、こだわるのはすごいの一言です。

不幸中の幸い
この工事のおかげで、いつもと勝手が異なっていますが、このアリーナを通らないとメインキャンパスへは行けないとのことで、これを利用して中を見て回りたいと思います。
不幸中の幸いです。

Practice Closed
このアリーナは、観戦するためのコートの他に、デューク・バスケットボール・ミュージアムがあるのですが、そこへ向かおうとすると、コートの方から何やら声が。
カリフォルニア大のクリニックの時と違って、子供の練習声ではなく、本当にブルーデビルズのメンバーが練習をしています。
画像の通り、
 「 Practice Closed :練習中なので立ち入り・観覧お断り」
ということで、幕が張られています。
本日は女子チームの練習とのことです。

中世のお城のよう
さきほどもお見せした、デューク・バスケットボール・ミュージアムの入り口へ続く廊下です。
サラッと流しましたが、お気づきでしょうか。
天井からは、デューク大がACCでシーズン優勝、あるいはトーナメント優勝した年を記載したバナーが吊るされ、左右の柱には往年の選手の姿などが飾られています。
また、柱に施された三角形の装飾。
まるで、中世のお城の入り口へ誘われているかのような印象です。

入り口のガラスには
ミュージアムの入り口へ来ました。
ここまでがあれだけにぎやかに装飾されていたのに、少し地味な印象がありますが、よく見てみると、トビラのガラスにはこんな紋様が描かれています。
さりげないこだわりが感じられます。

前回と…
前回訪れた時と、大幅に変わったところは見受けられませんが、気がついた点をご紹介します。

床がキャメロン・インドア・スタジアムのコートと同じデザインになっているのが印象的です。

2015年の優勝
2015年、直近の優勝を飾ったケースです。
背景として写っているのは、ジャリル・オカフォー選手。
足元には、選手達の名前の寄せ書きと最終スコアとが書かれた優勝記念ボール、決勝戦で使われたゴールネット、逆側にはシューズが置かれています。

2015年の優勝 その2
こちらも、2015年の優勝を飾ったケース。
トロフィーが飾られています。
写っているのは、タイラス・ジョーンズ選手。

謎のスペース
前回訪れた時には、何のためのスペースかわからなかった、青いこの場所。
ようやく理解できました。

アリーナさながらの…
壁に囲まれたスペース、壁には大勢のデュークファンがプリントされ、天井にはチームロゴの入った青い照明、そして 「Sound of Cameron:キャメロンの歓声」と書かれた板と、赤いスイッチ。

このスイッチを押すと、キャメロン・インドア・スタジアムで観客がデューク大を応援する音声が流れてきます。ファンが写った壁に囲まれ、歓声が反響し、音による振動が伝わってきます。
まるでアリーナにいるような体験ができる、というものです。

しかも芸が細かいと思ったのはスイッチの板。
ボタン周辺の○は単なる円ではなく、バスケットボールが描かれています。

Sports Illustrated
他に変わったところといえば、壁に飾られたスポイラー誌、Sports Illustrated。
直近の優勝号が展示されています。

ゴミ箱
新しく設置されたゴミ箱。
このコーナーの青いロゴが、シルバーのボディによく映えます。

Coach K Court
さきほどからご紹介している優勝を飾ったケース等は、バスケットコートを模した、この床の上に設置されています。
細かなことですが、フローリングに「 Coach K Court 」の文字が入れられました。

ATM
新たに設置されたATM。
中身の機械は結構ですが、このロゴの入った青い箱、外壁だけでも持ち帰って、事務所に飾れたらいいだろうなぁ、とグッズ屋の意地汚いサガが出ます。

永久欠番ジャージ
これは筆者が今までに気がつかなかっただけなのですが…。
グラント・ヒル選手を永久欠番として飾ったジャージです。
よく見ると、ホワイトの箇所には模様が入っています。

お屋敷のよう
外に出ました。
壁に、大学の紋章が飾られたデューク大のアリーナ、レンガ張りの校舎も、たたずまいがどれも中世のお屋敷のようで、とても上品なデザインです。

チームカラーに…
そして、この大学も多分にもれず、色々な物がチームカラーに彩られています。

ところ変わって…
ところ変わって、こちらはノースカロライナ大そばの通りです。
いつもは賑わっている路地も、夏休みのためか、この通り閑散としています。

街中で見る大学のカラー
画像は、フランクリン通りという大学周辺でもっとも人が多い通りです。
カリフォルニア大の時のように、街中で大学のカラーリングが見受けられます。

UNCバスケットボール博物館へ
前回訪れた時に、やり残してしまったことがありました。
この博物館の床も、上のデューク大と同じく、ディーン・スミスセンターのコートを模しています。
特徴的なのは、かつてコートのその場所で活躍した選手の足跡が刻まれていることです。

たとえば
たとえば画像のこの場所。
説明を読むと…
 2009年NCAAファイナル・ミシガン州立大戦(4月6日)で、ウェイン・エリントン選手が、前半決めたスリーポイント3本のうち2つ目を決めた場所であり、このスリーポイントが、前半のリード(55-34)と優勝に大いに貢献し、結果、ファイナル4の Most Outstanding Player に選ばれた。

このように、具体的にコートのどの位置で選手が活躍したのかを紹介しています。 足型は、かなり大きいのでエリントン選手自身のものと思われます。

場所によっては
また、上のように足型と●で紹介されている場合もあれば、場所によってはこのように、床をくりぬいたスペースに、当時のジャージなどのメモラビリアが納められている箇所もあります。

そこで…
そこで、前回やり残したことというのは、ジョーダン選手の最初の「ザ・ショット」の場所には何があるのか、を見落としたことでした。画像がそれです。

床に、最終スコアと選手らが名前を寄せ書きした優勝記念ボールが納められていました。

移動します
博物館をあとに、場所を大きく変えてターヒールズのコートです。
…が、ディーン・スミスセンターのコートに似ていますが、別の場所です。
「ああ、●●ね」とわかった方は、かなりディープなノースカロライナファン。

こたえは…
答えはこれです。
バナーと看板の一行目にある通り、ここはカーマイケル・アリーナ(Carmichael Arena)。
女子バスケットボールのホームコートです。
上の画像の通り、コートの外観はよく似ていますが、ディーン・スミスセンターよりもコートの敷地が少し小さめに感じます。

改めて見ても…
改めて見ても、ディーン・スミスセンターのコートにそっくりです。
こうした画像も、後日、壁紙コーナーに掲載したいと思います。

アリーナ内には
ディーン・スミスセンターにも男子チームの功績が飾られていたように、壁には、これまで女子チームがACCで優勝してきたバナーの数々が飾られています。
最も右側には、シルビア・ハッチェル氏が2013年のネイスミス Hall of Fame に選ばれ、2004年の女子バスケットボール殿堂に選ばれたことを記したバナーが吊るされています。

イスの仕様
かつてのディーンスミスセンターのイスは、昔の映画館のイスのような高価そうなデザインでした
その後、プラスチックでできたシンプルなものになりましたが、ここのイスもお揃いのようにシンプルです。

  
柱や手すりも
ここの屋根を支える柱や通路の手すりなど、あらゆる場所がカロライナブルーに染まっており、こうしたこだわりの強さもディーンスミスセンターと同じです。

次はコートから離れて、通路を歩いてみます。

女子の方がお洒落?
ディーン・スミスセンターの方が、通路が広く天井も高いのですが、このカーマイケルアリーナの方が、外観がお洒落に感じます。
ディーン・スミスセンターの場合、建物の躯体の壁や柱の多くが、そのままむき出しになっており、色も塗られていないので、いささか無骨なイメージでした。
うって変わってここは、波打った天井板に、木目の壁や光沢のある石畳の床、清潔で明るい通路です。
これも女性・男性のちがい、というものでしょうか?。

通路の壁には
通路の壁に貼られているのは、男女・種目問わず、ターヒールズの選手たちです。

トイレの中
旅行記の妙な恒例となっていますが、アリーナのトイレチェック。
他の大学と同様、トイレの中もチームカラーで彩られています。

ゴミ箱を見るたびに
再び通路へ。
ロゴマークが入った大きなゴミ箱です。
いつも目にするたびに、「これ、いくらなら販売してくれるだろう?」とグッズ屋の悲しいサガが出ます。

女子チームのカーマイケルアリーナ
不意に思い立って立ち寄った、女子チームのカーマイケルアリーナ。いかがだったでしょうか。
日本でノースカロライナ大というと、ジョーダン選手をはじめ多くの有名NBA選手が大勢いるためか、男子チームの方が知名度が高いことがしばしばですが、今回の訪問と、五輪やWNBAでがんばっている渡嘉敷来夢選手のことを思うと、もう少しWNBAや女子チームに注目すべきかなと感じました。

The Daily Tar Heel
画像は、館外にある学生新聞「The Daily Tar Heel」。
一部いただいて、ここをあとにしようと思います。

キャンパス内
キャンパス内です。
この日は、オリエンテーションのようなものが行なわれているようです。

未来のターヒールズ?
学内では、画像のような高校生と思われる人達をよく見かけました。
この中に、将来のターヒールズがいることを期待して、ノースカロライナ大をあとにします。

もう一軒
もう一軒、大学へ立ち寄りました。
画像の右側に写る、建物のロゴの通り、ここはノースカロライナ州立大学です。

日本では、ターヒールズの方をノースカロライナ大、ここをノースカロライナ州立大として区別し、●● State 大学を「●●州立大学」と訳す習慣がありますが、ここでの2校に関しては、運営上はどちらも州立ですので、本来、North Carolina State University は、ノースカロライナ州大学と訳すのが適切なのかも知れません。

ここは…
ここはフットボール場のようです。
この大学出身のバスケットボール選手というと、ジョーダン選手が尊敬するデビッド・トンプソン選手、ヘッドコーチとしても有名な、ビニー・デルネグロ、ネイト・マクミランの両氏。
身長170cmでもダンクができると日本でも有名になったスパッド・ウェッブ選手、最近では、キャブスでプレーした好ビッグマン、J.J.ヒクソン選手らを輩出した大学です。
幻に終わったドリームチームWに選ばれた、トム・ググリオッタ選手もこの大学出身です。

ウルフパック
チーム名は、画像の通りウルフパック。
直訳すると「オオカミの一群」。
その由来をご紹介。

なぜウルフパック?
 一言で言ってしまうなら、

匿名の卒業生によるフットボールチームに関する学生新聞へのクレーム
がきっかけでした。
チーム名、ウルフパックが定着するまで紆余曲折がありました。

<呼び名がない>

 ノースカロライナ州立大学の母体となる学校は1887年に創設され、1892年当初の名前は、ノースカロライナ農業・機械工学学校(North Carolina School for Agriculture and Mechanic Arts)でした。
当時すでにあった、テニス、フットボール、ベースボールなど、各競技のチームは存在していたものの、現在のような統一されたチーム名はなく、
テックス(Techs:工業の人々)
ファーマーズ(Farmers:農家の人々)
アギーズ(Aggies:農業の人々)
メカニックス(Mechanics:機械工の人々)
など、地元の人々はチームのことを、農業・工業学校にちなんだ名前で好き勝手に呼んでいました。

1918年に、学校名をノースカロライナ州立A&Mカレッジからノースカロライナ州立カレッジに変え、ロゴも AMC から NSC へと変わり、フットボールチームは、翌シーズンの1919年、さらに1920年を勝ち越すシーズンを送ります。

そして、3勝3敗3引き分けで終えた1921年、学生新聞 Technician 紙に、数名のフットボール選手の振る舞いに腹を立てた卒業生からチームに関して、匿名で苦情の投稿がなされます。
「彼らは、まるで群れたオオカミのごとく無法者の集まりだ」
この投稿を機に、学生新聞 Technician 紙と NC State Alumni News 紙は、フットボールチームをウルフパックと呼び始めます

一方で、1910-11シーズンがチーム初のシーズンだったバスケットボールチームは、徐々に勝ち越すシーズンを送るようになっており、1920年代半ばからガス・テベル監督(Gus Tebell)に率いられ、勝率が5割を切ることがなくなっていました。

その監督が、赤い絹製のジャージを作成したこと、また中心選手、ロシェル “ レッド ” ジョンソン選手(Rochelle "Red" Johnson)が赤髪(赤みがかったブロンド)で、レッドというニックネームで呼ばれていたことから、チームはレッドテラーズ(Red Terrors:恐るべき赤き者達)と呼ばれるようになります
以後この名前は、バスケットボールのみに留まらず、他の競技のチームにも使われるようになります。
唯一、フットボールチームを除いて。

こうして、フットボールチームだけがウルフパックと呼ばれ続け、バスケットボールチームをはじめとする他競技のチームがレッドテラーズと呼ばれ、でたらめに呼ばれていた習慣はなくなったものの、依然、統一されたチーム名ではありませんでした。


<ウルフパックを存続>

1946年。
第2次世界大戦後、5年前まで2000名を切っていたノースカロライナ州立大の学生数は、5000人ほどに急増していましたが、そのほとんどが退役兵でした。

この年、学長になって間もない、ジョン W ハレルソン(John W. Harrelson)は、学生達にチーム名を一新しないかと提案しました。
これはウルフパックという名前が、ナチスのUボートの隊列名でもあったこと、当時のオオカミの世評が悪かったことから、学長がこの名前をイメージが悪いと判断したためでした。

そこで、チーム名を決める選挙が行なわれ、賞品はフットボールゲームのチケット6シーズン分でした。
ノミネートされた物として、

ノースステイターズ(The North Staters:北の州の人々)
カーディナルズ(The Cardinals:ショウジョウコウカン鳥)
ホーネッツ(The Hornets:スズメ蜂)
カルチベーターズ(Cultivators:栽培者、耕運機)
コットン・ピッカーズ(Cotton Pickers:綿を収穫する人々)
パイン・ルーターズ(Pine-rooters:松を掘り起こす人々。東南部のブタにつけられる)
オークショニアーズ(Auctioneers:競売人)
カルメッツ(Calumets:タバコを吸うための長いパイプ)

後者2つは、州で200年近く続いている、タバコのオークションに由来します。

学生のほとんどが退役兵で、ウルフパックという名前のイメージを悪さを知っていると思われたことから、変更が予想されましたが、結果は圧倒的に「ウルフパックのままでいい」という声が多く、存続が決定しました。

学長はしぶしぶながらも投票結果に同意し、1947年12月からバスケットボールチームもウルフパックに変更し、この名前が全競技共通の正式名称となりました。

上で挙げてきた選手達がまとっていたジャージの向こう側には、こんないきさつがありました。

青いバナーの…
大学のバナーがたなびく晴天ですが、目的は青いバナーのPNCアリーナです。

PNCアリーナ
これがPNCアリーナです。
NBAアリーナに似た外観。
同じ州内の大学でも、デューク大、ノースカロライナ大よりも商業的なデザインに感じられます。

大学敷地内にあることから、先の2校は「学内の景観」を意識して、アリーナがデザインされているように思われますが、このアリーナはキャンパスからかなり離れたところにあり、あまりそうした意識は必要ないこと、プロホッケーチーム・カロライナ ハリケーンズも使用し、彼らと共同で建設されたことから、この外観なのかも知れません(ノースカロライナ州、ローリー市も共同しています)。

お向かいは
お向かいは、カーター - フィンリースタジアム。
フットボールチームの競技場です。

正面からの…
こちらが正面からのPNCアリーナです。
あまりの人の気配のなさに、いささか不安をおぼえますが、とりあえず入り口へ。

的中
予感は的中。
夏休みのため誰もおらず、入館することができません。
ガラス越しに見える、おどけたマスコットが胸に沁みます。
仕方ありませんので、撮影できるものをくまなく探そうと思います。

ちなみに、なかなか定着しなかったのはチーム名だけではなく、ガラス越しに見えるマスコットもでした。
詳しくは巻末に掲載していますので、ご参照ください

2回の優勝
画像の優勝プラークとゴールネットの通り、この大学も過去に1974年と1983年にNCAAで優勝しています。
当時の試合結果とロスターをご紹介します。

各大学のメディアガイドからの引用です。
- - - - - より上が決勝戦のロスターです。

1974 NCAA Final
NC州立大   76 - 64    マーケット大
ティム・ストッダード
デビッド・トンプソン
トム・バールソン
モーリス・リバース
モンテ・トウ
フィル・スペンス
マーク・モラー
- - - - -
スティーブ・スモーラル
クレイグ・クーズモール
グレッグ・ホーキンス
ブルース・デイハフ
スティーブ・ヌース
ドワイト・ジョンソン
ジェリー・ハント
スティーブ・スミス
ケン・ゲーリング
ビル・レイク
マイク・ブーマ
ボー・エリス
アール・テイタム
モーリス・ルーカス
ロイド・ウォルトン
マーカス・ワシントン
デイブ・デルスマン
エド・ダニエルズ
リック・キャンベル
ジェリー・ホーマン
バリー・ブレナン
- - - - -
ランディ・ バックマン
ポール・ボルマー
ビル・ニアリー
グレッグ・ジョンソン
ジョン・ブライアント
クレイグ・バトゥリム

ノースカロライナ州立大
マーケット大
1st
39
30
2nd
37
34
Total
76
64
1974年3月25日 グリーンズボロ・コロシアム(ノースカロライナ州グリーンズボロ)にて

1983 NCAA Final
NC州立大   54 - 52    ヒューストン大
サール・ベイリー
ロレンゾ・チャールズ
コーゼル・マックィーン
デレック・ウィッテンバーグ
シドニー・ロウ
アルビン・バトル
テリー・ギャノン
アーニー・マイヤーズ
- - - - -
クィントン・レナード
ハロルド・トンプソン
ジョージ・マクレイン
ウォルト・デンスモア
ディンキー・プロクター
マイク・ウォーレン
クライド・ドレクスラー
ラリー・ミショー
アキーム・オラジュワン
アルビン・フランクリン
マイケル・ヤング
ベニー・アンダース
リード・ゲティーズ
デヴィッド・ローズ
ブライアン・ウィリアムス
- - - - -
デレック・ジャイルズ
レナルド・トーマス
エリック・ディッケンス
ゲイリー・オルサク
ダン・バンス
デビッド・バンス

ノースカロライナ州立大
ヒューストン大
1st
33
25
2nd
21
27
Total
54
52
1983年4月4日 ニューメキシコ州アルバカーキーにて

ゴミ箱
ロゴの入ったチームカラーのゴミ箱です。
1895年に決められて以来、この色がずっと存続しています。
チーム名の由来はわかりましたが、なぜチームカラーが赤なのかは明確な答えが見つかりませんでした。
過去に、NCAAの大学のチームカラーについて調べる機会がありましたが、なぜその色なのか、明確に説明する大学と、そうでない大学とが存在するようです。
色の変遷につきましても、巻末に掲載しますので、ご参照下さい

チームロゴの旗が風にたなびく音が、アリーナ周辺に誰もいないことを物語っています。
そのぐらい人気がなく、静かです。

戻ってきました
先ほどのフットボール場に戻ってきました。
画像のマスコットが描かれたバナーを見ると、いささか切なくなりますが、めげずにフットボール場の内部を散策してみます。

正式名称
このフットボール場の正式名称は、クローズ-キング・インドア練習場(Close - King Indoor Practice Facility)。
ホワイトの建物に、チームカラーのレッドのアクセントが青空によく映えます。

大きなロゴ
改めて正面入り口から入ってみると、奥には先ほどのフットボール場が見えます。
その手前、この場所はロビーになっており、床に大きなチームロゴがプリントされています。

ソファ
このロビーにはソファがあり、そのうちの1つがやはりチームカラーの赤。

真っ赤
ここから移動して、練習場を見渡せる場所へ…その途中の階段。
壁一面、真っ赤です。

壁以外にも
階段の壁以外にも、車椅子用の入り口。
案内のアクセントカラーも赤です。

ここの手すりも
ここが見渡せる場所です。
ご覧下さい。
ここの手すりも赤。

トイレも
やはり、トイレの壁も赤です。
他の大学と同様、期待を裏切りません。

別の場所のゴミ箱
この練習場の外にあるロゴを配したゴミ箱。
あちこちの物がここまで赤いと、ゴミ箱のロゴよりも先に、赤いレンガの方に目が行ってしまいそうです。

  
こんなものまで
案内板もこの通り。
そして、よく車の進入を防ぐのに使われるフレームですが、こんなものまで赤です。

次回は「赤つながり」
これで今回の旅行記はおしまいです。
最後は、ノースカロライナ州立大というより、「赤」のお話になってしまいましたが、次回はこの「赤つながり」の大学の旅行記にてお会いします。

NC州立大ウルフパック マスコットの変遷
1910年代 トーゴ&ティージュ(Togo, Tige)
犬がフットボールと野球のチームのマスコットになり、トーゴ(Togo)と名づけられ、のちにティージュ(Tige:フランス語)と名づけられるようになった。
(※この犬は図書館の資料によるとブルテリア犬、チームによるとブルドッグ犬と表記)
応援団長よって競技場へ連れて来られ、チームの写真には必ずと言っていいほど写っていた。
1946年 ロボットマスコット
機械工学科の学生、 アイラ・ヘルムズ Jr.(Ira Helms, Jr.) が、高さ7フィート、胸周り120インチのロボットのようなウルフパックマスコットのコスチュームを造り、一人が、そのコスチュームを着て、もう一人が「リモコン」を持ってその後ろに控え、ロボットの動きをコントロールしている振りをした。

1946シーズンのフットボールの試合、対ウェイクフォレスト大戦に登場し、レギュラーシーズンを 8-2 で終え、初のボールゲームに出場したことから、このロボットマスコットが幸運の一助になると考えられていたが、同大会でマスコットの応援があったにも関わらず大敗(34-13)し、この試合が最後の登場となった。
1947年 ステイト(State)
全競技のチーム名がウルフパックで統一され、学生達はシンリンオオカミを購入してステイト(State)と名づけた。
生きたマスコットとして起用しされたが、ライバル校から「獲物を狙う、うなる毛皮のかたまり」と揶揄されたばかりか、大勢の人だかり(観客)に慣れることはなく、毎回、萎縮して怖がるように鳴き、観客で溢れかえったスタジアムを、こそこそと逃げようとした。
結局、その臆病さからアニマルショーに売却されてしまった。
1950年代 チアリーダー
チアリーダー達が、スポーツイベントにおいてオオカミのコスチュームを着用し始めた。
1959年 ロボ(Lobo)
生きたシンリンオオカミが購入され、ロボと名づけられ、化学科で働くローレンス・バーネットの家の裏にある囲いで暮らしていた。
が、このオオカミは病気がちで、到着してからそう長く生きられず、ビタミン注射を受けて間もなく死んでしまった。
1959年 ロボ2世(Lobo II)
 純系のシンリンオオカミ、ロボ2世は1959年10月3日、チャペルヒルで行なわれたフットボールの試合で、生きたマスコットとしてデビューした。
しかし、40000人の観客があげる声援の声を前に、おののいて、すぐに神経衰弱してしまい、2度と完全回復することはなかった。
ロボ2世もまた、 ローレンス・バーネットの家で暮らしていたが、ある夜、ケージのドアを開けっ放しにしたせいでウェイク郡の林へ逃げてしまい、2度と姿を現すことはなかった。
1966年 ロボ3世(Lobo III)
1966年10月8日、カータースタジアム(現 カーター - フィンリースタジアム)の除幕を祝して、学生会はシンリンオオカミの購入権を25セントで売り出し、オオカミにはロボ3世と名づけられた。
このオオカミは、よく吼え、人々になつき、評判がよかった。
が、後日、オオカミではなくコヨーテであることが判明した。

この事実が Raleigh's News & Observer 紙のニュースのトップ記事を飾り、これを受けて

 ● 学生新聞 The Technician の編集部員が学生達にコヨーテを保持することを訴え、

 ● コヨーテと鑑定した動物学の博士、フレッド・バーカロー( Dr. Fred Barkalow )は、これまでのオオカミでの失敗や成体になってからの危険性を指摘した上で、コヨーテの方がいいと1967年の学生新聞 Technician のインタビューで答え、

 ● このシーズン中に2位のヒューストン大に勝利し、9勝2敗の好成績でシーズンを終え、ポストシーズンで初めて勝利したこと(対ジョージア大戦。14対7。リバティボール:Liberty Bowl )、

 ● スポーツイラストレイテッドが、対ヒューストン大戦でのノースカロライナ州立大と彼らの「ホワイトシューズ・ディフェンス( White Shoes defense )」を評価して、彼らを「勇ましいコヨーテの一群」と賞賛し、

数多くの事実がコヨーテを後押ししたが、ファンたちは、オオカミではないという事実を受け入れられずにいた。特に、フットボールチームが、3-6-1という記録で終えた1969年以降、芳しくないシーズンを送るようになってからは尚更、その空気が漂っていた。

ロボ3世は1970年に引退し、安楽死が予定されていたが、前・州知事のアーチー・マクミラン( Archie McMillan )が、「ロボを救え」のキャンペーンを催し、この予定は帳消しになった。
そこで、アッシュボロにあるノースカロライナ動物園で余生を過ごすことになったが、ロボ3世は動物園へ行く前にフィラリアが原因で死んでしまった。
1972年 生きた犬たち
学生が所有する5頭の犬がマスコットとして、カータースタジアムへ連れて来られた。
が、再び犬のマスコットは受け入れられることはなく、1970年代後半には犬の起用は打ち切られた。
5頭の犬のうち、2頭は純系シベリアンハスキー、3頭はアラスカ マラミュートで、学生は、ハリー・ラトレイド( Harry Rattelade )とニック・コッホ( Nick Koch )。
1975年 女の子マスコット
女子アスレチックチームの創設を受けて、ウルフマスコットの女の子版が作られた。
1981年 ミスター&ミセス・ウーフ(Mr. Wuf & Mrs. Wuf )
男の子のマスコットに、ミスター・ウーフと名前がつけられた。
スコット・ジョセフ( Scott Joseph:1981-84)という学生が、ジャージにミスター・ウルフ(Mr. Wolf)と縫い付けられたコスチュームを着用しようとしたが、充分なスペースを確保できず、ミスター・ウーフ(Mr. Wuf)となってしまった。
その後まもなく、女の子のマスコットにはミセス・ウーフと名前がつけられた。
1981年2月28日 マスコットの結婚
ミスター、ミセスウーフは、バスケットボールゲーム(対ウェイクフォレスト大戦)のハーフタイム中、ウェイクフォレスト大のマスコット、デーモンビーコンを前に結婚セレモニーの真似事をして結婚した。
2匹は、キャニス・マトリニウム( canis matrimonium:犬の婚姻サービス)に登録された。
2010年の秋 タッフィ(Tuffy)
タマスカン・ハスキー犬がタッフィと名づけられ、新しい生きたマスコットとなった。
フィンランド原産の犬で、外観がオオカミにとてもよく似ている。
初代のタッフィは、イースタンカロライナの家族のもと飼育され、フットボールのホームゲームに起用された。
NC州立大ウルフパック チームカラーの変遷
1892〜1895年
一番最初のスポーツチームは、ピンクとブルーのウェアを着用していた。
1895年9月
アスレチック委員会は、スポーツチームのための色を茶色と白であることを承認した。
これらの色が使用されたのは、ごく短期間だった。
1895年11月
学生の大多数は、赤と白をチームの色として選んだ。
色はいずれも、別々のタイミングで変えられた。
大学の全教職員は、赤と白の採用に同意し、学生全体のうち3分の2の得票がなければ、色の変更は行なえないことを明言した。
以来、これらの色は同じまま現在に至る。