レプリソーム旅行記 Vol.16 シラキュース大学

はじめに
かつてドラフト上位の選手と言えば、90年代に1位指名されたデリック・コールマン選手(ドリームチームUのメンバーの1人)。それからおよそ15年、カーメロ・アンソニー選手の出現によって、その名の浸透に拍車がかかったシラキュース大学。
どこにある大学がご存知でしょうか。

州こそ、ニックスと同じニューヨーク州ですが、直線距離ではマンハッタンよりも、ラプターズでお馴染みのトロントの方が近い、かなり西のはずれにあります。

ニックスから見ると、同じ州のシラキュースよりも、ボストンやNJの方が近いくらいです。

シラクサ・塩の街
トロントと、五大湖の1つオンタリオ湖を挟んで、ほぼお向かいの位置関係にあります。

「Syracuse」と書くシラキュースですが、この名前は、イタリア・シチリア島の都市「シラクサ」に由来し、かつては「塩の街」とも呼ばれるほど、製塩業で栄えた街です。

現在の日本のNBAファンにとっては、カーメロ・アンソニー選手を介して知る大学かも知れませんが、意外な接点もあります。
「私はこれだけですよ、これだけ」というフレーズで有名な竹村健一氏は、この大学のご出身。
また、有名なアメリカドラマの1つ、刑事コロンボの主役、コロンボを演じていたピーター・フォーク氏もこの大学の出身者です。

本当に、ここNY?
アニメータによるダイジェストで、シラキュースまでの景色をご紹介。

とても緑が多く、五大湖の1つエリー湖へと続く、エリー運河と思われる河がどこまでも続いています。
どうしてもMSGといった、マンハッタンの街並み=NY となりがちなためか、まず思うのは

「本当に、ここNY(州)?」。

シラキュースの街
市の境まで来ました。
この先に見えるのがシラキュースの街です。

シラキュースでもう1つ忘れてはいけないのは、現シクサーズの前身、シラキュース・ナショナルズの誕生の地でもあることです。
1937年に創設され、1946年にNBLへ所属し、1949年にNBAと改名したばかりのBAAに参加することなります。
その後、フィラデルフィア・ウォリアーズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)がサンフランシスコへ移転したのを機に、フィラデルフィアへ移転し、名前をセンブンティ シクサーズ(独立宣言の1776年に由来)と改名しました。

車に・・・
街に入って休憩しようと車を停めたところ、お隣にシラキュース大学のロゴが入った車が駐車してありました。

今回の出張を、同じNY州のマンハッタンからスタートさせましたが、このロゴマークの入った車を見たのは、シラキュースの街に入ってからです。

地元ならでは、を感じます。

到着
大学に到着しました。
今まで訪れた大学と異なり、ハイウェイ出口のすぐ先から大学の敷地になっており、門など明確な境界線はありません。
日本で言うなら、
「門・入り口のない、首都高速に面した東京都心の大学」
といったイメージでしょうか。

バナー
DUKE大学でも見ましたが、街頭に飾られた大学名の入ったバナー。

大学訪問を実感させてくれます。

カラーリング
この学内の駐車場は、本来なら有料駐車場だったようで、ここは管理員が料金回収のため、駐在するための管理棟だったようです(たたみ一畳分くらいしかありませんが・・・)。

事務的な建物でさえ、このカラーリング(屋根にご注目)なのは、やはりアメリカはお洒落な国です。

この管理棟とカラーリングが、過去の物だったことを、後から知ることとなります。

前置きここまで
大学の敷地の境界線が明確で、街とは一線を画していたDUKE大学ミシガン州立大学の構造とは異なり、シラキュース大学は「学内に街を擁している」ような印象です。

また、筆者がこれまでに訪れた大学と異なる点として、「道が狭い・小さい」ことが挙げられます。
日本人の感覚からしても、道路というより「路地」のような道が大学内を縦横無尽に走っており、一方通行の道が多いなど、とても複雑にできています。

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