レプリソーム旅行記Vol.20 Naismith Basketball
Hall of Fame Part 3
- メモラビリア
-
エレベータを降りてすぐの所に、その年 Hall
of Fame に選ばれた方々のメモラビリアが、ショーケースに入れられ飾られています。
こちらは、2010年に選ばれた選手達のものです(取材日2010年12月)。
2012年4月現在で、新たに Hall of Famer として選ばれているのは、下記の通りになります。
- 2010年
- 選手
- シンシア・クーパー
デニス・ジョンソン
ガス・ジョンソン
カール・マローン
マシエル
“ウビラタン” ペレイラ
スコッティ・ピッペン
- 監督
- ロバート “ボブ” ハーレー, Sr.
- コントリビュータ
- ジェリー・バス
- チーム
- ローマ五輪USAチーム(1960)
バルセロナ五輪チーム(1992)
- 2011年
-
- 選手
- デニス・ロドマン
アーティス・ギルモア
クリス・マリン
アルビダス・サボニス
テレサ・エドワーズ
リース・テータム
- 監督
- ハーブ・マギー
タラヴァンダーヴァー
テックス・ウィンター
- コントリビュータ
- トム・サンダース
- 2012年
- 選手
- カトリーナ・マックレイン
レジー・ミラー
ラルフ・サンプソン
ジャマール(キース)・ウィルクス
メル・ダニエルズ
チェット・ウォーカー
- 監督
- ドン・ネルソン
リディア・アレクセーバ
- コントリビュータ
- ドン・バークスデイル
フィル・ナイト
- チーム
- オールアメリカン レッドヘッズ
- 審判
- ハンク・ニコルス
- ヒューストン・コメッツ&クーパー
-
詳細に見ていきます。
まずは選手として、この Hall of Fame に選ばれたシンシア・クーパー選手のメモラビリアです。
このボールには、シンシア・クーパー選手をはじめとするヒューストン・コメッツ(WNBA)の面々のサインが入っています。
コメッツは、WNBA創設から4シーズン連続(1997-2000年)で、優勝を果たしました。
その中でも、97・98・99年のメンバーによるサインが、このボールに施されています。
- シューズ
-
こちらは、そのシンシア・クーパー選手が、コメッツ時代に着用していた
NIKE のシューズです。
- USCの Hall of Fame にも
-
シンシア・クーパー選手は、この Hall of Fame
だけでなく、1999年には、母校USC(サザンカリフォルニア大学)の
Hall of Fame にも選ばれました。
画像は、その記念レザージャケットです。
- ロバート ”ボブ” ハーレー
- 次は、ロバート”ボブ”ハーレーHCの受賞プラークです。
ハーレーHCは、この Basketball Hall of Fame
に監督として選ばれただけでなく、2009年の7月に、全米ハイスクールの
Hall of Fame (National High School Hall
of Fame)にも選ばれました。
画像は、その受賞プラークです。
- 史上3人目・あの選手の父親
-
ロバート”ボブ”ハーレーHCは、ニュージャージー州のセント・アンソニー高校の監督で、高校史上1000勝(2011年の2月2日に達成)した10人目の監督で、この
Naismith Hall of Fame に高校での実績だけで選出された史上3人目の監督でもあります(39年の間に、26回州大会で優勝)。
画像は、2007年3月に900勝目をマークした記念ボールです。
もう1つ馴染みの点にふれますと、DUKE大学の永久欠番
#11 ボビー・ハーレー選手の父親にあたります。
- Friars
- 画像左の黄緑色をしたウェアは、ハーレー監督が着用していたスウェッターです。
チーム名は、Friars(修道士の意)。
画像右側に写る、#6の黄色のブラジルジャージーは・・・監督のスウェッター右下に写っているように、説明のポップが倒れて、残念ながら読めません。
- Mailman
- 画像は、メイルマンこと、カール・マローン選手が使用していたシューズです。かかとに、紫色で「Mailman」と入れられております。
- NBAオールスターMVP
- こちらは、スコッティ・ピペン選手のメモラビリア。
ミネアポリスで開催されたNBAオールスター93-94で、MVPを獲得した記念ボールです。
あの真っ赤なシューズで臨んだオールスター戦です。
- 2人のNBAオールスターMVP
- なぜかマローン選手のメモラビリアは、先に
Hall of Fame に選ばれたジョン・ストックトン選手のコーナーに展示。
それもそのはず、このボールもNBAオールスターの記念ボールですが、マローン選手とストックトン選手の2人で受賞したMVP記念ボールです。
- ジャージ
- この画像に説明は必要ないかと思います。
ピペン選手が着用したブルズ時代のジャージ、カール・マローン選手が着用したジャズ時代のジャージです。
- 46サイズ
- マローン選手の物は、隣のジャケットが邪魔をして見えませんでしたが、ピペン選手のジャージの裾に注目。
サイズを示すタグには、「46」とあります。
当時から市販されていた、レプリカジャージは、44が当時のLサイズ、48が同XLサイズとされていました。
44〜48サイズは、標準的な体格の日本男性でも着用できるサイズですので、2mもある長身のピペン選手が、46を着用できるということは、その体格がいかに華奢で、線が細いかを物語っています。
- 2つのちがい
- 2つのジャージについて、もう1点。
ジャージ2つの画像を並べてみました。フォントの違い・縁取りの有無以外で、ご覧になって何か違いがあることに気がつきませんか。
マローン選手の背番号には、メッシュ穴が透けて見えるのに対し、ピペン選手の背番号にはそれがありません。
これは、ピペン選手の物はパッチワークで作られているのに対し、マーロン選手の物は、ジャージの生地に直接、文字がプリントされています。
今では、ファンに向けた市販のジャージでも、パッチワークが普通のようになっていますが、ひと昔前までは、プロ仕様でも、このような市販品と同じようなレベルでした。
92年ファイナルで着用していたブルズのジャージも、このマローン選手のジャージのような造りだったと言われています。
- この建物の構造
- 受賞者のメモラビリアショーケースを見終わったところで、今一度、この建物の造りについてご紹介。
画像は3Fの通路ですが、頭上に飾られた Hall
of Famer たちの写真や、壁を見るとおわかりの通り、画像の左に向かって曲がっているのが、おわかりいただけるかと思います。
先ほどの外観の通り、ここが球体(バスケットボール)の中になり、その円周に沿って歩いて、見て回ることになります。
- 頭上には
- 頭上には、これまでに選ばれてきた Hall of
Famer 達の写真が飾られています。
画像上段には、
DUKE大のマイク・シャシェフスキーHC
マジック・ジョンソン選手
中段には、
レイカーズのアナウンサーを務めた、チック・ハーン氏
ロバート・パリッシュ選手
下段には、
クロアチアのエースだった、ドラセン・ペトロビッチ選手
ノースカロライナ大・LALのジェイムス・ウォージー選手
の顔が見えます。
- ヒストリーコーナーへ
-
円周部分であるコースには、バスケットボールが生まれて、カレッジやプロのバスケットで、どのようなことが起き、また、当時の世界・社会背景がどうだったのかを、年表にして、その歴史を掲載しています(詳細は次の画像で)。
更にその下には、当時の選手や監督に関連するメモラビリアが納められており、それらについて説明紹介がなされています。
前回訪れた時は、まだここは改装中でしたが、あれから約半年して完成したようです。見てみましょう。
- 1990年を例に
- 1990年を一例に、年表についてご紹介。
上から順に見ますと、
A.年
B.その年に変更があったバスケットボールのルール
C.カレッジ-プロ-国際バスケットでの出来事
D.世界・社会情勢
が書かれています。
A.1990年には、
B.
NCAA男子のルールとして、1ハーフ当たりチームファールが10を越えると2フリースローが与えられる。
3ポイントライン外でシュート中にファールを受けると、フリースロー3投が与えられる。
C.
ケンタッキー大学男子チームのアシスタントコーチとして、バーナデット・ロック氏が赴任したことで、ディビジョンTで初の女性監督が誕生。
マイケル・ジョーダン選手が4回目の得点王となり、これによりチェンバレン選手に次ぐ記録を達成。
アメリカプロスポーツとしては初めての、北アメリカ以外の場所(東京)で、公式戦を行ないサンズがジャズを打ち負かした(注:とありますが、実際は2戦して1勝1敗)。
スコット・スカイルズ選手(マジック)が、一試合30アシストを達成。
将来のNBAスター、ブラデ・ディバッツ選手とドラゼン・ペトロビッチ選手を擁する、旧ユーゴスラビアが世界選手権で優勝。
D.
第二次世界大戦後、初めて東西ドイツが併合された。
アニメ、シンプソン一家のレギュラー放送が開始され、大ヒットするだけでなく、ゴールデンタイムのアニメとして、史上最長の放送回数を記録する。
これらの文章の横でドリブルをしているのは、マイケル・ジョーダン選手です。
- 21世紀
-
ここからが21世紀(2000年)ですが、ここ10年で
NBAでのゾーンディフェンス解禁
マイケル・ジョーダン選手の復帰
レジェンドとして名高いジョージ・マイカン選手や有名アナウンサー、チック・ハーン氏の死
史上初ドラフト1位指名のアジア人選手ヤオ・ミン選手の登場
グッズの世界でもオフィシャルメーカーが3社目になるなど
数多くの出来事がありました。
21世紀もすでに年表となるほどになったか、という郷愁のような思いを、先ごろ引退を発表したヤオ・ミン選手の写真が、尚更、駆り立てます。
- 動画
- ITを駆使した動画の展示。
上でご紹介した、年表と年表の切れ間に設置されており、その意味まで表示されます。
80年代・90年代・2000年代のように、およそ10年の区切りごとに設置され、その10年間にあったことを、動画と音声で展示紹介しています。
画像では、1990年代を紹介しています。
- 2010年
- それでは、この年表の2010年を見て行きたいと思います。
掲載内容として、Hall of Fame に選ばれた人物の写真、その下には選ばれたカテゴリー(選手としてなのか、監督としてなのか等)、生年月日と出生地、どんな人物なのかが書かれています。
- Friars -2
-
その隣には、メモラビリアが収納・展示されています。
画像のプラークは、ボビー・ハーレーHCが、2008年に
All-USA Boys Basketball Team のコーチ・オブ・ジ・イヤーに選ばれた、受賞プラークです。
受賞記事を掲載した、USA Today 紙が納められています。
のちにNBA選手となる、テリー・デヘア選手、ロドリック・ローズ選手、そして自身の息子であるボビー・ハーレー選手の3選手を擁するセント
アンソニー・フライアーズは、1989年、シーズン無敗かつ優勝を達成します。
プラーク隣のリングは、この1989年の優勝リングです。
ボビー・ハーレーHCから寄贈されました。
- バルセロナ五輪 ドリームチーム
-
2010年のコーナーには、もう1つメモラビリアが飾られています。
バルセロナ五輪の金メダルです。
チャールズ・バークレー選手による提供とあります。
2010年は、2つのアメリカ代表チームも選ばれました。
1つは、この1992年のバルセロナ五輪チーム、もう1つは1960年のローマ五輪チームです。
Hall of Fame には、選手・監督ら人物の他に、こうしたチームも受賞対象になります。
過去には、ショーバスケチーム、ハーレムグローブトロッターズや、史上初のバスケットボールチームも選ばれました。
- 2000年代
- 次は、新設された2000年代を振り返る展示品を見ていきたいと思います。
画像中の革張りの本は、提督デビッド・ロビンソン選手(2009年
Hall of Fame 入り)が個人で使用していた聖書です。
もともとは、ロビンソン選手に親密な友人から、同選手に贈られた品ですが、この展示のために提供されたとあります。
ダンカン選手とツインタワーを組み、再度優勝しての幕引きは2000年代でした。
- 1000勝目
- こちらは、ジェリー・スローンHCがジャズのヘッドコーチとして、1000勝目を挙げた記念ボールです。
時は、2008年の11月7日。
ジャズのホームコート、エナジーソリューションズアリーナで、対サンダー戦(104-97)にて、と刻印が施されています(キャリア通算1000勝目は2006年12月11日のマーベリックス戦にて)。
- ESPNのブロードキャスター
-
ここには、2008年にHall of Fame に選ばれた、ディック・ビテイル氏について書かれています。
同氏は、ニュージャージーのハイスクールでHCを務め、2回の州優勝を果たした後、NCAAではラトガーズ大学のアシスタントコーチ、デトロイト大学のHC、NBAではピストンズのHCと歴任しました。
それを経て、ESPNのブロードキャスターに就任しました。
特に説明はありませんが、キャスター時代に使用していたと思われるマイクが展示されています。
- チーム史上初の優勝
- 2000年代、チーム史上初の優勝を成し遂げたのは、2006年のマイアミ・ヒート。
その2年後、2008年にパット・ライリーHCが
Hall of Fame 入りしました。
画像は、同HCもデザインを手がけた優勝リングです。
- 再び優勝チームへ
-
2000年代、カレッジバスケットボールでも、フロリダ大・メリーランド大・シラキュース大が初優勝を成し遂げた中、ノースカロライナ大学ターヒールズが、再び優勝チームになりました。
現監督のロイ・ウィリアムスHCが着任してのことです。
画像の優勝リングは、2005年のものですが、監督がこの展示のために、特別にレプリカを作らせて提供したとあります。
- 悲運の選手
-
このボールは、2008年に Hall of Fame に選ばれた、エイドリアン・ダントリー選手の、20000得点記念ボールです。1987年12月8日の、ブレイザーズ戦でのことです。
この時は、ピストンズに在籍していましたが、88年ファイナルでレイカーズに敗れ、その後、ダントリー選手はマーベリックスへトレードされてしまい、代わりにピストンズへやってきた、マーク・アグワイア選手を擁するピストンズが、89年に優勝を果たしてしまうという、2度得点王にもなった選手ですが、悲運の選手でもありました。
- 3Fの最後は
-
3F最後のご紹介はこの機械です。
Hall of Fame に選ばれた方々のデータベースです。
アルファベット順・出生地・各年代ごとの所属プロチームなど、色々な角度から検索できるようになっています。
試しに大学で検索をかけ、ノースカロライナ大学を選ぶと、ボブ・マッカドゥー選手、ビリー・カニングハム選手といった出身選手、ディーン・スミスHCやロイ・ウィリアムスHCといった所属監督が表示され、各個々人について説明がなされます。
-
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- Which Next?
- はじめに
- Hall of Fame 3F ヒストリーコーナー
- Hall of Fame 2F USAチームコーナー
- Hall of Fame 2F Hall of Famer コーナー
- Hall of Fame 1F バスケットボールコート
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